Short Story. 01
みーちゃん

 「あぢぃ」
 空からは殺人的な熱気が降り注ぎ、アスファルトが溶けたように、陽炎が舞う。
 長年住み慣れた片田舎の小さな駅前のロータリー、俺はそこでバスを待っていた。
 首を締め上げるうっとうしいネクタイは抜き取り、コーヒーの空き缶を灰皿代わりに煙草を吸う。
 「ったく、冷夏ってのはどこに落ちてるんだ・・」
 俺は憎たらしく晴れ上がった空を見上げた後、目を空き缶に戻すと、小さな黒い靴を履いた足が見えた。

 「ねぇおじさん、みーちゃん見なかった?」
 女の子の声。
 小さな黒い靴から目線を上げると、赤い髪留めで黒髪をポニーテールに纏めた、小さな顔が見えた。
 「ねぇおじさん。」
 「おにいさんだ。」
 「みーちゃんしらない?おじさん」
 最近の子供は目上に対する言葉を知らないらしい、と昔じぃさんに言われた事を思い出す。
 じぃさん俺も同感だよ。
 「みーちゃんって、お友達?」
 俺は膝を折り、女の子と目線を合わせる。
 小学生低学年ぐらいの可愛い女の子。
 グレー系のシャツにスカート。親のセンスはよろしくない。
 「ううん。」
 女の子は首をぶんぶんと横に振り、そして突然道路に飛び出し、走り出した。
 「っておい!」
 偶然通りかかった不幸な軽トラックに急ブレーキを踏ませ、女の子は道路の向こう側に走り去る。
 放っておく事も出来ず、俺は後を追った。


 赤い髪留めと黒髪のポニーテールは、意外に足が早かった。
 くそう。
 何の因果で汗だくになりながら、女の子を追わなきゃならんのだ!
 ひょこひょこ揺れるポニーテールに追いつき、肩を掴んで振り向かせる。
 「こら!飛び出したら危ないだろ!」
 「でも、、みーちゃんがあっちにいるんだもん」
 「は?」
 辺りを見回す。
 人影は無い。
 「何処にいるって・・」
 と女の子を見ると、口を尖がらせてぐずぐずと泣いていた。
 「だって。いるんだもん。」
 思わず俺は、空を見上げる。
 相変わらずじりじりと熱線が降り注ぎ、憎たらしい程の青が満たしていた。
 くそう。
 これじゃどう見たって、俺が悪人じゃねぇか。
 俺は携帯を開き時間を見る。帰社時間までには余裕がある。
 「どっちに居るんだ?」
 「あっち。」
 と女の子が指を挿す方向。
 その方向には細い道が分かれ、その先にはちょっとした森があった。
 「はぁ…おっけ。一緒に行ってやるから泣くな。」
 「うん。おじさん。」
 「おにいさんだ。」


 細い道を、女の子と手を繋いで歩く。
 女の子の機嫌はすっかり良くなり、ハミングを口ずさんでたりしていた。
 細い道は、それでも車1台だったら通れる幅を保ち、くねくね曲がりながら先に進む。
 両側は木の塀だったり茂みだったりしたが、もれなく朽ち果てた感じを受ける。
 黒く塗られていたであろう板は、所々が剥げ地の色が見えていた。
 伸びまくった木々からは、セミの声がノイズとなって響く。
 そして木の葉の隙間からは、青い空が。

 デジャブ。

 俺はふと、足を止めた。
 「どうしたのおじさん?」
 俺は暫く記憶を辿り、そして我に返り、
 「…いや、なんでもないよ」
 と答え、再び歩き出した。

 そうだ。
 この風景は。
 俺がガキの頃、じぃさんに手を引かれて歩いた道だ。
 「早くいこ!」
 女の子に手を引っ張られながら、考える。

 俺はあの時、大事なものを持っていた。

 確かに持っていた、はずなのに。
 今は、思い出せない。


 朽ち果てた道の中に、場違いな物を見つけた。
 「休憩しよう」
 文明の利器。自動販売機。おあつらえ向きに屋根つきのベンチまである。
 「何が飲みたい?」
 「こーひー」
 「それは大人だけの飲み物だ。」
 「えー。」
 俺は、立ち並ぶ缶の中にビールが紛れ込んでいない事を2度確認し、溜息を付きながらコーヒーとオレンジジュースを買った。
 「開けれるか?」
 「うん。」
 足をぶらぶらさせてる女の子にオレンジジュースを渡し、俺はコーヒーの缶を開ける。
 女の子は缶を足に挟み、必死になって開けようとしていた。
 俺はコーヒーを口に運ぶ。
 これがビールなら、完全復活なのにな。

 女の子はまだ悪戦苦闘していた。
 俺は腕を伸ばし、缶を開けてやる。
 女の子はその缶を両手で掴み、美味しそうに飲み始めた。

 …なんだったんだろうなぁ。
 俺は意識の隅に引っ掛かっていた、疑問を引っ張り出す。
 じぃさんに手を引かれ、この小道を歩いていた時。
 俺は何を持っていたんだろう。
 とても大事な物だと、思っていたのに。
 かけがえの無い物だと、思っていたのに。
 その想いだけしか、思い出せない。


 そのうち小道は、鳥居に辿り付いた。
 森に見えたそれは、ちょっとした小山になっていて、鳥居の向こう側に石畳の階段が見えた。
 「はやくー」
 てててっと駆け上がった女の子は、石畳の途中でこっちを向いている。俺はといえば、
 「へいへい」
とだらだらと階段を登る。

 登りきったその先には、古ぼけた神社があった。
 「あぁ。そういえばここに神社あったなぁ…」
 だがこんな真夏に人が居るわけもない。
 遊びに行こうとせがまれて近所の神社に来た親子、って図柄だな。
 と横を見ると、女の子はすたすたと獣道に入っていく。
 俺は一人肩をすくめ、その後に続いた。


 突然、ひらけた場所に出た。
 少し小高いだけで、この田舎を見渡すのには十分。
 まだら模様の低い屋根と、緑の田んぼで構成された俯瞰図。
 見上げると、一面に青い空。
 みー、という蝉のノイズが、この場所を日常から切り離していた。

 そのひらけた場所の隅に、女の子はしゃがみ込んでいた。
 肩越しに覗き込むと、そこには小さな木の板があり、
 「みーちゃん」
と、へたくそな文字で書いてあった。
 「みーちゃんって、猫?」
 女の子の赤い髪留めが、こくん、と動く。

 そうか。

 俺は煙草を取り出し、1本取り出し、口に咥えた。
 そうだな。俺もあの時、死んだ猫を埋めに…

 煙草に火を付ける所で、動きが止まる。
 あれ、あの黒猫、名前は、

風が、流れた。

 ライターの火が消え、はっとして女の子を見るが、居ない。
 辺りを見回しても姿が無い。
 足に柔らかい感触があった。見下ろすと、
 「なぁ〜」
 と頭を擦り付ける、赤い首輪の黒猫がいた。

俺は呆然と、その黒猫に手を伸ばす。

黒猫は、俺の手を舐め、
「なぁ」
と一声残し、茂みの中に姿を消した。


 蝉のノイズが耳に戻る。
 携帯が震えていた。
 会社からだと確認して、そのまま近くに放り出し、俺は茂みに座り込んだ。

 ああじぃさん。思い出したよ。
 あの時。
 俺は飼っていた猫が死んで、その猫を埋めに、ここに来たんだ。
 ぐずぐず泣く俺の手を引きながら、言ってたな。
 また会える、って。
 すっかり忘れてたよ。
 じぃさん、あんたは正しかった。

 女の子がしゃがみ込んでいた場所、そこで見たはずの板は、無くなっていた。

 あの時。
 俺はここに猫を埋め、
 へたくそな文字で書いた板を、そこに立てた。
 「みーちゃん」と書いた、その板を。


wrriten by 深見零( 2003/12/01 )