その時、
わしの目の前で、
ワインが踊っていた。
Monnglowにあるわしの酒場には、その土地柄奇人変人が集まる。
だが、ワインを操る奴は初めて見た。
その女の手は、操り人形を操るようにひらひらと舞い、それに合わせ、人の形になったワインがダンスを踊っていた。
わしはカウンター越しに、女に話し掛けた。
「あんた、魔法使い?」
女は、人の形をしたワインをグラスの淵に座らせ、
「ま〜、奇術師ってとこね」
少し上気させた顔を上げ、こっちを見た。
結構いい女だ。
「どうやってんだ?」
「知りた〜い?」
「ああ」
女はふふんと笑う。
「教えてあげな〜い」
人の形をしていたワインが、形を崩しグラスに戻る。
彼女はそのワインを、くいっとあおった。
どうやってそれをやったのかは皆目見当つかないが、面白い物が見れた。
わしは、空いたグラスにワインを注ぐ。
「おごりだ」
「わ。」
女は目を見開いて、再び手をグラスの上にかざした。
すると、ワインが盛り上がり、人の形になる。
女の指がくいくいと動き、それに合わせてワインの人形が動く。
ワインは、こちらに向けて、優雅なお辞儀をして見せた。
「いい男だね、おやじさん」
「あたりまえだ」
ワインのダンスに暫く見入っていたが、
「いい事おしえてあげよっか」
と、彼女がいきなり話し掛けてきた。
「この世はね、コトバで出来てるんだよ」
「ふーん」
酔っ払いの戯言は聞き慣れていた。
「あ〜、何言ってんだこいつって顔だなぁ」
彼女はごそごそとカバンを漁り始め、
「いい男が台無しだなぁ」
赤くて丸い物を取り出した。
それはただの、真っ赤な林檎。
「さーてこれは、なんでしょう?」
手のひらで林檎を転がし、もう片方の手に顔を乗せている。
「見れば分かるだろ。林檎だ」
「じゃあ、これをかじると、どんな味がするのかな〜?」
「甘いに決まってる」
ちっちっちっ、と人差し指を振る女。
「甘いのは、目の前の男の頭ん中だね」
むっ。
酔っ払いに、そんな事言われたくねぇ。
「私の手の上にあるのは、『林檎』って名前のついたモノ」
彼女は、酔っ払ってる割に、澄んだ目でわしを見つめながら語る。
「そして『林檎が甘い』ってのは、貴方の頭の中にあるコトバ。」
わしは、その目に見入る。
「別にね、私の手の上にあるモノが、甘い必要なんて無いんだよ」
ぽんっと投げられた林檎を、慌てて受け取った。
「もしも、貴方の頭の中のコトバをいじったら、どんな味になるのかなぁ〜」
彼女の目が、すっと細くなる。
一瞬、背中が凍るが、すぐに元に戻る。
(・・なんだ今の?・・)
わけの分からないまま、わしは手にある林檎を見つめた。
赤くて、丸い、
ただの、普通の林檎。
甘いに決まってる。
わしは林檎を一口かじり、、、、
「む、、げぇ」
吐き出した。
赤くて、
滑らかに丸い林檎は、
塩辛かった。
「な、、なんだ、、」
戸惑うわしの目の前で、女がにやにや笑っている。
そうだ、この女は、奇術師だ。
意味深な話で注意を逸らし、塩辛い林檎をかじらせて、遊んでいるのだ。
塩辛い林檎をどうやって作るのか、なんてことは知ったことじゃない。
なにせ、相手は奇術師だ。
何でもやるのだろう。
「やってくれたな」
わしはにっ、と笑う。
「今日は全部、おごりにしてやる」
「あは。愛してるよぉおやじさん」
女は残っていたワインを飲み干し、席を立った。
「じゃあまたね、おやじさんっ」
カウンターには、空いたグラスと、塩辛い林檎だけが残った。
「おやじさん、食材かってきたぜ」
ウェイターが、紙袋を抱えて帰ってきた。
紙袋から、ちょうど赤い林檎が顔を覗かせている。
『この世はね、コトバで出来てるんだよ』
さっきの女の言葉が頭をよぎる。
わしは林檎をちょいと掴み、
「・・ふん。ばかばかしい」
赤くて丸い、林檎をかじった。
酒場から出てきた酔っ払いの女が、あっ、と声を上げる。
「おやじさんのコトバ、元に戻してないや・・」
しばらく、深刻そうな顔をしていたが、
「ま、いっか。」
さっくり切り捨てた。
千鳥足の女は、そのままふらふらと、街の闇に消えていった。
後日。
Moonglowにある酒場には、こんな張り紙が張り出されていた。
「林檎持ち込み禁止」